法政チョモランマ通信
Daily Report 〜チョモランマ日記〜
第29号 5/23 15:12 @435 チョモランマ発
チョモランマ総括 隊長 中村敏夫
5月17日から第1次、2次、3次と3日連続アタックを出し、いずれのサミットも成功を収めることができた。
下山に関しても一人はC5だったが、C4が二人、一人はABCまでアタック日に下りることができた。体力と精神
力のたまものである。 アタックまで3日間7000メートル以上に滞在し、4日目に8200メートルの最終キャン
プ(C6)からの頂上に挑む。いくら酸素ボンベは利用できても、8000メートルを越える地点で、天幕を張り、
氷を溶かして水を作り、食事を作る。アタックの日は深夜11時には起きて食事を済ませ、−30度に近い
ところで用便し、狭いテントで羽毛服を着て、アイゼンをつけ、オーバー手袋に、目出帽、さらにトランシー
バーを装着し、最後は酸素マスクをつける。身動きするのもつらい。ついに時間がきて思い切って外に飛び出す。
そこはもう人間が生活する場所ではない。覚悟を決めて、戻れるともわからない未知の世界へ出発するのである。
サポートのシェルパの声に促されて、稜線に第一歩を踏み出す。頂上までは雪、氷、岩のルートを7時間は登り、
そして安全地帯までその日のうちに降りてこなければならない。まさにチョモランマのアタックは恐怖の世界だ。
法政大学山岳部の4人が8848メートルの世界最高峰の頂に立ち、そして無事に戻ってきた。「天気に恵まれて
幸運だったね。」という人もいるが、彼らはツキだけで登ったのではなく、この日のためにすべてを調整し、自ら
の力と多くの人々の支えがあってこそ、登ることができたのだ。 このチョモランマ遠征が決まってからの1年間、
チョモランマの頂に立つために労を惜しまずあらゆる努力をし、体力、精神力を磨き、山岳部と言う登山隊の組織
の中で、個人ではなくチームとして動き、そして、はじめてアタックメンバーとして評価されたのである。この
成功は登頂者だけの栄誉ではなく、参加18名全員の勝利であり、サミツトの瞬間はこのときとばかり拳を上げ、
泣き叫び校歌を歌った。サミットだけではなくこの瞬間の為に人生をかけたものもいる。これが法政山岳部の伝統。
創部75年いつかは、誰かが果たさなければならない宿命だったようにも思える。この企画、チョモランマ遠征
企画は5年前にさかのぼる。1955年法政大学山岳部70周年記念「チョオユー遠征」(8201M)である。遠征は全員
登頂という快挙で法政初の8000M峰は成功した。 このとき参加したメンバーに、隊長の中村敏夫、登攀隊長、
山本俊雄、そして学生で登頂した荻尾雄二、ロマンロゼムバウムがいた。 頂上で真後ろに見えたチョモランマを
みて、次はあそこだと皆で強く思った。チョモランマ遠征は5年前から温めつづけたものであるが、企画は今から
1年ほど前から本格的に動き出した。この年、増田、酒井、青木がチョモランマBCまでトレッキングに行ってから
である。「チョモランマに行こう」という話は50歳以上のOBを中心に始まった。しかし、参加をまだ考えていなった
中村は、単なるOBのシルバー隊では?「山岳部、山想会でやるなら・・・」といった感じであった。これがチョモラ
ンマ遠征のスタートである。一部反対意見もあったが、チョモランマ準備委員会の設置まで漕ぎ着け、「法政大学
創立120周年記念」ともなった。中国登山協会の登山許可も早々到着。学生2名の参加も決まった。山あり谷ありで、
多忙な日々を過ごした。そして、1999年12月の妙高山の合宿を皮きりに毎月トレーニング合宿が始まる。個人の
ノルマは丹沢大倉尾根、2時間。富士山新5号目から3時間で登るがヒマラヤへの基準である。合宿は立山〜上高地
縦走。谷川岳馬蹄方縦走。冬の剣早月尾根、冬富士と学生時代を越える合宿が続いた。年が明けた2000年1月、
3トンを越す隊荷を全員で発送し、隊はチョモランマ遠征のおおよその準備を終えた。法政大学校友会を中心に
皆さまのご協力で遠征募金もありがたいことに1000万円を超えた。我々の目的は山に登ることだけではなかった。
75年続いている山岳部の伝承である。いま大学山岳部で単独遠征を出せるのはいくつあるか?衰退下降にある大学
山岳部のためにも我々はチョモランマに行かねばならぬ。でも失敗は許されぬ。様々なプレッシャーに頭を抱える日
もあった。 そして、3月24日ついに出発の時は来た。成田空港ではなぜか落ち着いた隊員の顔があった。それは
やることはすべてやったという自信の顔であったような気がする。5月17日、松本、ロマンは「必ず登ってきます。」
と当然のような顔をして出発していった。第2次アタックの荻尾は「第1次隊より早く登ります」とまるで5〜6回登って
いるようであった。第3次アタック隊の山本は「おれがのぼらにゃ隊長をうそつきにする」と息を弾ませた。
こうして今、チョモランマ登頂成功という結果で全てが終えることができた。隊長にとってこんな至福はない。
全員元気で成田に帰れることはあたリまえのことで、当然のことであるのだが、こんなうれしい凱旋はない。そして、
ここまで支えてくださった皆さまに心から感謝したい。
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